実施した主な事業

文責 蝦名憲 Update 1998-08-14

会の創設

 昭和27年(1952)夏、旧陸軍第8師団第5連隊の兵舎を校舎としていた青森高校に新しい生物実験室や研究室が落成した。 その時期に、青高構内の通称「三四郎池」のほとりで、在校生が卒業生を招いての集いが開かれた。
 そのとき、社会に出て間もない卒業生達の脳裏には、在校時代の自由に振る舞わせてもらった楽しい思いと、素晴らしい後輩との出会いが改めて鮮明に浮かんできて、誰しもこのような出会いを大切にしてその絆をいつまでも保ちたい、将来ともこのような集いが続いてほしいと願ったのである。
 また、当時の教官たちは、戦争のために希望する仕事が思うようにできなかった反動で、それぞれ自分のテーマに向かってむさぼるように勉強していて、学会にも積極的に参加して知識の吸収につとめていたが、その際、部員の希望者は面倒がらずに同伴して日本動物(植物)学会東北支部大会の「青少年部会」に参加させてくれた。それがまた非常な刺激になって、学ぶ姿勢を教えてもらったものである。
 その学会には私が旧中1年生のときの生物の教官で郷里山形の高校に転任していて後に山形県の教育長をつとめた故大竹先生や、弘前大学の学長をつとめた手代木先生などが、同じく教え子を引き連れて研究発表させていたのがいまだに鮮明に脳裏に焼き付いている。私の場合は、高校を卒業してからもお世話になったものである。
 このような背景から、年に1度ではあるが8月の第1日曜日に毎年みんなで集まろうではないかということになったもの。会の名称は「採集に出かけた山のなか(やぶ)で、時代を超えて出会いを大切にする仲間が鍋を囲んで談笑するという意味をそのまま使用して『やぶなべ会』にしようということになり、会員の範囲は、旧制中学へ入学して新制高校で卒業した昭和24年(1949)3月卒業の会員を第1代(初代)会員とし、自己紹介の際には順次卒業年代を会員の呼称の先に用いることにした。
 昭和24年卒業生である私は初代会員で、今年(1998)3月の卒業生が50代会員ということになり、現在の会員数は約5百人である。(このように『やぶなべ会』は、同窓会そのもので特定の行事をすることを目的でできたものではなかった)。
 その後、昭和28年から毎年8月の第1日曜日には、毎年会場を移しながら総会を実施、今日に至っている。
 その間、昭和29年に創刊号を発行して以来、現役部員が中心になって編集発行を続けていた部誌「やぶなべ」は、時代の変遷(大学受験が激化の一途をたどり、また受験科目から生物科がなくなるなどの逆風が吹き荒れ、例年2桁を維持した部員も1桁台に落ち込み、部としての活動が困難になり、一方先生方も次第に部活動の指導に消極的になったなど)にともなって昭和63年7月第30号を最後に発行できなくなり、昭和46年(1971)から卒業生が発行している『やぶなべ会報』がその仕事を引き継いで13号まで発行されている。
 伝統のある部であるから、兄弟5人全員が会員という家族や親子会員というのも何組かある。会員は日本全国に散らばり、外国で活躍している人も多い。また研究職、専門職、医師、教職員などとして働いている人も多いことから、必要な情報を入手するには都合がよく、パソコン通信のネットワーク、ホームページの開設など情報交換の手段も広がっている。

やぶなべ会としての活動記録

 会の活動は年1回の総会だけであったが、昭和44年総会で同窓会に同好会的要素を加えようという発言を契機として、いろいろな事業を展開することになった。
 この時代は高度経済成長をうたいながら、人間は技術に酔いしれ、これまで長い間先祖が神とまで崇めながら大切に守り続けてきた自然を惜しげもなく破壊し、何百年もの長い月日を費やして汗水流して作り上げてきた農地をつぶし、表土をはぎ取り、さらに化学物質の大量生産、大量使用、環境に配慮しない汚染物質の河川への垂れ流し、自動車の普及による二酸化炭素の大量排出などなど、動植物のほとんどが絶滅の危機にさらされていた時代であった。それは昨日まで普通に見られた動植物が、その翌日にはその片鱗さえ見ることができないほどの猛烈なものであった。(その暴挙は残念ながら未だに続いている)
 自然保護団体が生まれ、警告を発し始めたのもそのころであった。
 このような時代的背景があって、会としてもこれまで何の行動もせずに過ごしてしまったことの反省から

  1.  市内の小中学生を対象とした昆虫や植物の採集会を催し、事情が許せば、標本の作り方も指導し、後輩の育成に力を入れようと当時の青森市民文化センターを拠点として実施した。(2回実施)
      (このたった2日の行事がきっかけで、少なくとも2人の貴重なやぶなべの仲間を得ることができた。そのうちの一人は、東京大学を卒業し、現在つくば市で研究専門職になっているし、もう一人も弘前大学を卒業し、県の研究専門職をしながら津軽昆虫同好会の中心会員として活躍している。)
  2.  日本列島改造という環境の急激な変化によって、数の少なくなった郷土の小動物を生きたまま会場に展示して、市民の皆さんにこれまでは青森市及びその近郊に普通に生息しながら、現在は滅亡の危機に直面している自然の現実の姿を見てもらい、どうすればいいのかと問題提起し、『生きている郷土の小動物展』を開催した。(昭和45年から昭和53年まで隔年で5回実施)
     (この行事の中で昭和48年に行われた野内川周辺の生物総合調査のうち水生昆虫調査は、青森における最初のベントス調査となった。)
  3.  そのほか参画した行事としては、昭和50年(1975)1月10日創刊号発行の『グラフ青森』誌に昭和55年2月発行の第32号まで継続して「やぶなべ生態学」という記事を連続して掲載した。同誌は現在216号まで発行している。
  4.  昭和63年には全国ホタル研究会主催の、「第21回ホタル研究大会」を誘致し、県教育会館で開催した。この大会が縁になってその後、横浜町の吹越地区を拠点とする「よこはまホタルの会」育成に参画することになる。その後の経過としては、
    1. 「よこはまのゲンジボタル」が横浜町の天然記念物に指定(平成4年6月23日)。
    2. 「よこはまホタル村」の開村(平成5年5月30日)。
    3. 「よこはまのゲンジボタルとその生息地」が県の天然記念物に指定(平成8年5月22日)と推移している。
 また、平成8年には環境庁水質保全局長から「水環境フォーラム’96長崎大会」においてやぶなべ会が団体として表彰を受けている。
 今後我々が行おうとしているテーマは、『現在生き残っている動植物のチェック』である。陸生の動植物については、それぞれ調査団体があり活動を続けているが、陸水生物については県内に調査団体が見あたらいことから、この部分に絞って活動をしていくことにした。

現在継続して行っている「せせらぎウォッチング」と「やぶなべ会」

せせらぎウォッチング事業について

 環境庁では、河川の汚染による生活への影響は憂慮すべき状態にあり、下水道の普及率を高めるには多額の費用が必要になり、早急には対応が困難であることから、河川の環境調査(汚れ具合)を地域住民の参加で行い、河川の水環境についての関心を高め、水質保全についての認識の高揚し、川に親しむ習慣を早急につけてほしいと願い、その手段の一つとして河川の環境の変化(汚染度)によって生息する種類が異なる水生生物の観察調査を行うことになり、平成4年度にはその試験段階として県がが主催して県内3カ所の水生生物調査を行うことになり、私どももお手伝いすることになった。、5年度からは名称を『せせらぎウォッチング』と変え、11保健所管内で一カ所を選定して行うことになった。平成9年には保健所の統廃合があり、8保健所体制となり、各保健所で1ないし2カ所を選定することになった。
 この仕事は、各自治体がそれそれ独自に行うことが望ましいのであるが、できるだけ早急に、スムーズに実施するように促すにはとりあえず県が実施し、普及浸透させたいと願っているものである。(それだけ環境問題はせっぱ詰まった課題なのである)
 われわれが行っているせせらぎウォッチングには、大きく分けて2つの課題があると考えている。
  1. 事前の準備を周到に行うこと
  2. 実施当日与えられた時間内で所期の目的を達するよう努める。
   後段についてはさらに作業が3つに分かれる。
  1.  川という自然にふれて、環境を確かめながら水生動物(主として昆虫)を採集すること。
    ( 水に触れて、最初は冷たいとか濡れたとか騒いでいる内に子供達は生き生きと作業を 進めるようになる。いろいろな生き物が普段見えない石の下などにいることに驚き、やがて採集に熱中するようになる。『川の恐ろしさを知らない子供がほとんどであることに留意する』)
  2.  虫を目で確かめながら、似たような仲間に分ける(分類と同定)こと。
     分類とは動物体の構造や発生の違いを比較して、相互間の類縁を推定し、その遠近によって類別することであり、同定は生物の名前を決めることである。(子供達には仲間分けといっている)
    最初は同じ仲間のように見えても、詳しく見ると別のグループであることが分かったり、大きな幼虫や、極端に小さいものに興味を示す。
  3.  分類した生物を整理、記録し、目的にしたがって分類、表に記載するなどの作業を進めながら、自分たちの調べた川の今の状態を知る。
    少々厄介な仕事だが、採集した虫の一覧表(水生生物一覧表)に同定した虫を全部書き込み、その後、それぞれの虫を生息環境ごと(指標生物)に4段階に分ける(I.きれいな水、I・II.きれいな水と少し汚れた水、II.少し汚れた水、III.汚い水、IV.大変汚い水。)
 この仕事をするには、ある程度の分類の知識が必要になるが、これは続けているうちに自然に体得する部分が多いので、あまり恐れないで取りかかるべきである。また、研究が不十分な分野なので、われわれが新分野を開拓する余地も多く残されている。ただ、既存の知識をあまり過信しないこと。たとえば、小さいミミズが出ればイトミミズ、コカゲロウが出ればサホコカゲロウなどと特定しないことが大切である。なぜなら、水にすむミミズだけでも10科におよび、コカゲロウにしても同様である。サホコカゲロウにしてもイトミミズにしても汚い水または非常に汚い水に属するもので、他の生物と誤って同定することにより、その判定が混乱の原因となる。

さらに望ましい『図鑑の整備』を目指して

 これまでの文献は全部と言っていいほど東京発で青森と比べると気候や水環境(汚染度)が極端に違い、したがって主な生息生物が違うなど青森にそのまま適用できないものがある。また、実際に分類作業していると別の種と紛らわしいものが多くあり、青森に生息するものだけをまとめた資料があれば、数段楽に分類作業ができることになる。そこで県の「せせらぎウォッチングの手引き」には、とりあえず60種だけ県内で採集した標本の写真を掲載してもらうことになった。また、その分類も独自に実施する人たちを念頭に置いて、全体の2/3のページを割くことになった。現在はまだ目(もく)の段階のものから属の段階のものまでにしており、今後はできるものは種の段階まで下げていくために資料の収集に努めていきたい。

最後に

 この仕事は非常にに手間暇がかかり、多くの仲間を持ちたいと願っている。そのために、これまで調査、学習した結果はどなたにでも公開するとともに、『やぶなべ会』とは別に『青森県陸水生物研究会』を発足させ、資料の提供などをしている。
ただ、あくまでもアマチュアの研究機関であり、誤りもあるかも知れない。多くの専門家に教えを請いながら続けていく所存である。


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