会名由来/部誌・会報掲載記事抜粋

「やぶなべに思うこと」

10代 室谷洋司 (昭和33年12月発行「やぶなべ第4号」より)

 1958年度の第11回やぶなべ会が八甲田山萱野高原で盛大に行われ、私も楽しく1日を送らせていただきました。
高校3年間、私は3回のやぶなべ会に参加しましたが、何れも会場は平地あるいは低山地でした(水源地、八十八ヶ所、浄水場)ので、暑い盛夏が会期になっている本会を一度高原の涼風の中で楽しみたいと思っておりました。それが部を離れてすぐ果たされて、企画した在校生に対して個人としてよりも卒業生一同として感謝しなければなりません。
 高校時代のやぶなべ会を回想してみるに、その盛会さが今なお衰えずに、むしろ今年の萱野高原会場へはバス1台を借り切ったことが示しているように、年々盛んになっていくとさえ思われます。私のようなやぶ鍋10代という新米には何も分からないとは思いますが、本紙3号に寄稿されている江口氏の文を拝見しても、昔と今と比較してみる時、歳月の流れとともに大きく本会の性質が変わってきたことが分かります。例えば、以前先輩からやぶなべ会の本当の意義について伺ったことがありあます。この事は私が今ここに駄文を並べるよりも、やぶなべ初代〜3代の方々から直接書いていただけば実感がでるのですが、ついでにちょっぴり紹介します。すなわち、やぶなべの最も主要なものは、なんと言っても肉なべでありますが、それは今日のように高級ではなかったらしい。
 肉と言えば部で飼育した動物(ニワトリetc.)を、標本作成用の骨格を取る名目で殺してそれに当て、以外のものは各自が何でも。イモでもナスでもキウリ、ニンジン、バナナ(?)さてはゾウリ(誇張かな)まで入れてフタをとってビックリ主義だったそうです。このことは料理の巧さ、拙さはさておいて、自分たちの作ったものを食べながら、色々と部の今後の活動について話し合いするのが目的であると見るべきで、部員向きの親睦を計るにはこのうえない会合であったように思われます。今はどうでしょうか、豊富なコックさんを擁する生物部では、高級なブタ肉、糸コンニャク等などを材料に、キャンプで鍛えた女生徒に勝る腕前をもつ男生徒まで加わって、とにかく肉なべのでき上がった頃は正午過ぎ、とまで働いてくれ、しかし急いで食事やら自己紹介、レクリエーションで瞬く間に肝心な会は終わってしまいます。近年、食後のソフトボールとバレーボールの卒業生対在校生の対抗試合がプログラムに折り込まれたので面白くなっていますが、続けていきたいものと思います。
 ついでに思っていることを延べさせていただきますが、折角の1年に1度の機会ですから“やぶなべ会の今後のあり方”について座談会を開いたり、生物部の活動状況を発表したりして、より会を有意義にしたらよいという事です。
 一方、母校の生物部について感ずることは、団結力は欠けていますが、今後一層の成長を見るならば、決して他校にはヒケをとらぬと思います。この事は夏の日本動植物学会東北支部大会への常時参加や秋の青森県理科教育研究会で優秀な成績を収めたり、夏期の野外生物調査の結果が如実に示しております。私は今年部員に同行し蔦での生物調査に参加しましたが、この時の計画のずさんさや統制の取れなかったことを残念に思います。この点について今後注意してください。
 この頃の高校生の一傾向でありますが、母校にも“学力向上!学力向上!”が感染したようでクラブ活動を軽視しているようです。私の考えではクラブ活動は何等学業に影響を及ぼさないばかりか、それを要領よく行うことはより高校時代を美しいものにし、目的意識を持つことにより逆に学力向上が見られると思います。クラブ員ならば、みな参考書をひもとくかして自分の研究テーマを見つけ、学業の合間をコツコツと実験、観察に費やす。たといそれが好結果をもたらさなかったとしても、何かしら科学的物の見方は身についてくるのですから。
 クラブ活動の空白期、冬を迎えて、部員の皆さんは明年度の計画をたて、悔いのない高校生活を送ってください。
(筆者は弘大生)



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