やぶなべ会の会名由来
文責 蝦名 憲 (1998.8.10)
会の名称『やぶなべ会』は、今でこそ会員達は何の抵抗もなく「やぶなべ会員です」と名乗っていて、会員以外の方々でもそれほど違和感がなく、「ああそうですか」という感じで受け止められるようになっていますが、ある時点で『非常に個性的な「会の名称」』はいつ、どうして決まったのかと問われて戸惑ったことがあります。
実は、発会以来50年を経過した現在、会員のだれもが正確な記憶を失っていたのでした。そこで後日のために遅ればせながら、これまでの記録をたどり、記憶を呼び集めながらまとめたのがこの記録です。
なお、氏名の前に○○代とあるのは、制度の改正により旧制中学が高校に改変された第1回生(昭和24年3月卒業)を初代とし、それぞれの卒業年代を付して名乗りあう習慣があることから記載されている。
やぶなべの起源について
初代 蝦名 憲
昭和24年3月に卒業してから40数年経過し、やぶなべ会員もいつのまにか4百人を超える大所帯になってしまった。会員諸氏も各分野に広がりそれぞれ培った土壌の上で存分の活躍をしているところであるが、一方、これまでの会の活動内容とその時代の背景など正確に記録されていないうらみがある。
これまで部誌「やぶなべ」には、在校生の目から見た行事として大部分は記録されていたが、会として記録を残すための意識的な行動はしなかった。
昭和61年5月「やぶなべ会報第4号」の発行を契機に、意識的に古い思い出を掲載したり、「思い出の写真」や「あの日あの時」などを掲載して記録することに努めたが、年を経るにしたがって減りこそすれ、増えることのない記憶や資料を早期に集大成し、後輩諸君の糧にしてほしいとの願望が年を追うごとに強くなった。幸い昭和61年2月1日におこなった「やぶなべの起源を探る」の座談会を企画して以来、はるか彼方のうっすらとした思い出でしかなかった諸会合や、そこでのできごとが会員諸氏のそれぞれのちがった感じかたで記憶している部分をつなぎあわせ、また証拠の写真、当時の関係記載文などの中から、室谷幹事長の献身的な分類考察によってほぼ正確に当時の様子が浮び上がってきたように思う。
いま、やぶなべの歴史を起稿するにあたり、会報4、5号のやぶなべの起源を探るに改めて目を通しながら自分の参加した会合について思い出してみると、これまで解明された各行事の中で、昭和27年の三四郎池畔での一番最初のやぶなべの会合には何かの都合で参加していなかったが、駒込川畔での会合には参加している。現在の中筒井、駒込橋附近(現在の市清掃工場横)の河原だった。そこに参加したメンバーや約束ごとについては記憶はまったくなくなっているが総会の時と場所を年代順に整理していくと、28年以外には該当しないようである。また、東興グリルでの会合にも私は出席している。今これまで判明した事実に私の記憶を加えると、
最初の“やぶなべ会”はいつ、なんのために開かれたか。
室谷氏の分析のとおり、棟方氏の三四郎池での16人の写った貴重な写真とその裏に書かれたメモが決め手で「やぶなべ会、昭和27年8月1日三上喜四郎先生京都へ転勤」とあり、三上先生の送別会として開かれたものと考えられる。これは、やぶなべ会報第2号の三上先生の“執筆を依頼されて”が裏付けているのではないか。
東興グリルでの会合は、会の名称の確認を含む規約についての打ち合せだったような気がする。
“やぶなべ”という名称は、発足会ともいうべき三四郎池での初会合に於ける提案ととしての“鍋”と、この時の約束事による最初の会合である翌年夏の“駒込川での鍋”を経験したことで参加者のほとんどが内々同意していたが、対外的に通用するかとか何か奇異な名称のような感じに引っ掛かるものがあり、会合のあるたびに“やぶなべ”でいいのかと話題になった。しかし、それに替わる名称としてより適当な具体的な名称の案は出ず、結局“やぶなべ”に決まってしまったように記憶している。東興グリルで決まった規約については、現在のところ見つかっていない。
以上の記憶を纏めれば
昭和27年8月1日 やぶなべ会の発足会ともいうべき三四郎池での会合
これは、三上先生が9月から京都の府立高校に転勤することになっていて、同先生の送別会を兼ねて行われたのではないか。(棟方氏の写真)「私が青森高校に在職したのは、昭和23年から27年8月までで、『やぶなべ会』はその頃発足した懐かしい会である。」(やぶなべ会報第2号)
昭和28年8月 駒込河原での会合
これは、前年の約束にしたがって開かれた最初のやぶなべ会と思われるが日時や場所、参加者については記憶にない。ただし、駒込河原での会合があったことは記憶にある。また、三上先生の「27年9月に京都の府立高校に転勤したので、やぶなべ会に出席したのは、1〜2回である」とあり、駒込の会合に出席した可能性が高い。
昭和29年の東興グリルでの会合
やぶなべ会の会則を協議する会合のように記憶する。
昭和29年12月21日 部誌『やぶなべ』創刊号発行
ガリ刷りで部数も少なかった。10〜15部ではなかったか。白表紙の部誌を手にしたが各人がそれぞれ下山先生にお願いして「薮なべ」と書いてもらった。下山先生は嫌な顔をしないで「どら、おめもな」と書いてくれたように記憶している。
会名由来関連記事
「やぶなべ会に寄せて」
3代 江口祥一
昭和32年11月発行
「やぶなべ第3号」
「やぶなべに思うこと」
10代 室谷洋司
昭和33年12月発行
「やぶなべ第4号」
「やぶなべによせて」
6代 棟方啓爾
昭和34年12月発行
「やぶなべ第5号」
「最近の高校生物部の傾向」
10代 室谷洋司
昭和34年12月発行
「やぶなべ第5号」
「やぶなべ、やぶなべ、やぶなべ」
3代 鈴木二好
昭和44年12月発行
「やぶなべ会報創刊号」
「執筆の依頼をうけて」
元顧問 故三上喜四郎先生
昭和48年発行
「やぶなべ会報第2号」
入り口へ戻る
Copyright(C) 1998 by YABUNABE