会名由来/部誌・会報掲載記事抜粋

執筆の依頼をうけて

元顧問 故三上喜四郎先生 (昭和48年発行「やぶなべ会報第2号」より)

   はじめに

 私が青森高校に在職したのは、昭和23年から27年の8月までで、「やぶなべ会」はその頃発足したなつかしい会である。
27年9月から、41年3月まで、私は京都の府立高校に転勤していたので、「やぶなべ会」に出席できたのは1〜2回であると思う。この度、会誌に執筆を頼まれ、京都での研究の概要を、なるべく生徒諸君に理解していただけるように、多少の解説的な補足も加えながら書いてみようと思う。
青高時代の私は東北大学の元村勲教授、平井越郎教授(現浅虫臨海実験所長)のご指導を受けて、主としてバッタの染色体構造と取り組んでいたので、当時の私を知る人は、京都でも続けていたと考える人が多いと思う。
しかし、表題のように私の本来の狙いは、カイコの二型精子にあった訳で、養蚕の盛んな京都で主題と取り組んだ次第である。しかしながら、東北大学で指導された内地留学での基礎的知識と実習は、京都での研究には欠かせないもので、今尚、前述の両先生には深く感謝している。

(1)二型精子
 モンシロチョウの雄から紫色の丸い精巣を取り出し、スライドガラスの上で針で引き裂いて鏡検してみる。カットのような長い有核精子束と短い無核精子束が見られる。一般に鱗翅類は、このような二種類の精子を生じる。これらの1個は数百本が束になっている。交尾して雌の貯精嚢に入ると、バラバラに分れて活発に運動している。
しかし、無核精子は見当たらないようである。自然は滅多に無駄を作らないのだが、無核精子がどんな役割を果たしているのか、まだよく判っていない。この外にタニシなども二型精子を生じることがよく知られている。
 無核精子の役割の問題はともかく、二種類の精子がどんな仕組みで形成されるのか。私は無核精子を生ぜしめる何等かの影響を与えているものがあると考える。つまり、減数分裂に影響を与える物質があると想定されるのである。

(2)ニ型精子とホルモン
・ カイコの精子形成の概要
 カイコは1令期から5令期を経過し、熟蚕となって蛹化し、14日後に羽化する。カイコで整った精子束が見られるのは、5令期2日目頃である。この後熟蚕(5令期10日頃)までは無核精子束は見られない。ところが蛹化すると、無核精子束が出現し、日を追って増えてくる。

・町田博士の実験
 私が無核精子の出現は、カイコのホルモンと関係があるのではないかと考えるようになったのは、町田(1927)の研究報文を昭和24年に東北大学へ内地留学に行っていた時に読んだのに始まる。
 町田博士は、マイマイガとカイコの精巣の交換移植を行った。ところが、移植された3令期の若い精巣に、マイマイガが蛹化すると急に無核精子が増えることを見ている。
その頃であるから、明らかに「ホルモン」という語は用いてないが、「体液」の中に影響を与えるものを想起されている。

・変態ホルモンと精子形成
 脊椎動物で生殖腺の発育を促すのは、脳下垂体前葉であることは、教科書でも明らかである。無脊椎動物では一般に余り明確とは言えない。鱗翅類(カイコなど)では、前胸腺ホルモンが変態ホルモンであり、生殖腺刺激ホルモンであるという福田宗一(1944)の研究が通説となっている。アラタ体が幼若ホルモンで、前胸腺と「協同的」に作用して、「脱皮」という現象がおこるとされているのは、福田博士の著名な研究である。前胸腺ホルモンは、蛹化、羽化にも関係する。

(3)カイコの精子形成と前胸腺ホルモン
 京都大学の市川衛教授のご助言を受け、先ず、若令期のカイコから前胸腺を除去してみた。これは簡単な実験で、前胸腺のある体節の後方を糸で結束し、なお確実にするため、前方(前胸腺を含む前胸部)をハサミで切除する。
また、同時にアラタ体除去も併せて行った。アラタ体除去は頭と胸の間のくびれを糸できつく結束する。

・前胸腺除去実験
 3令期初期と4令期初期を材料とした。各200頭位の中、10日頃になると急激に死ぬ。結束後12日経過したものが数頭生き残った。4令期は勿論、3令期の若い精巣内に、精子束(有核)の初期のものが小数ながら発見された。この実験結果は、予想に反したものである。前胸腺が完全に除去された若令期の精巣で、精子束が正常より多少遅れる日数で発育することは、福田博士の考察と異なる。もっとも、福田博士は生殖腺そのものの発育を中心に観察したのではない。そこに私の実験の狙いがあったのである。このことは、「対照実験」の精巣と比較して明らかであった。
「対照実験」は絶食させたもので、この精巣内には、まったく精子束(初期)は見当たらず、若い精原細胞のみであった。

・アラタ体除去実験
 7日目頃から蛹化が始まり、やがて小さな蛹になる。精子形成も順調で4令期では5日目に精子束が現われ、20日を経過したものには、無核精子も出現する。

(4)アラタ体と精子形成
 アラタ体は精子形成にどのように作用しているのかを調べておく必要がある。頭部結束(アラタ体除去)をしたものに、他の個体から摘出したアラタ体5〜6個を4令期2日目(臨界期以前)の体内に移植した。やがて、脱皮現象は起こるが、7日以上を経過したものでも精子束は見られず、かえって精母細胞が退化し、崩壊する傾向が見られる。
このことは、アラタ体が除去されると、前胸腺の有無にかかわらず、精子形成は進むものと考えざるを得ない。

(5)生殖刺激ホルモン
 さて、こうした実験結果から考えると、果たしてカイコには生殖腺刺激ホルモンは存在するのかどうかという疑問さえ生じてくる。これを解決するために、次のような精巣移植実験を行った。

・精巣移植実験
 宿主(5令期4日目)に3令期3日目に精巣を移植して、宿主は手術後に桑を与えて飼育を続けた。宿主はやがて熟蚕から蛹になったが、移植後6日目に3令期の精巣に精子束が現われ始めた。これは正常飼育のものより3日ほど早い。
さらに移植後13日目の3令期の精巣内には、無核精子束も多数見られた。これは正常の蚕よりも8日ほど早く無核精子束が出現したことになる。この結果は生殖腺の発育を促すホルモンが存在することを意味する。5令期に入るとアラタ体のはたらきが止まり、(あるいは、変化して)前胸腺の蛹化ホルモンとしての作用が活発になる時期に、急激に生殖腺も発育する。従って、前胸腺ホルモンが生殖腺刺激を兼ねていると考えられやすい。
しかし、前述したように、私はこの考えに疑問をいだいている。

・シャチホコガの精巣移植
 私は、休眠蛹(蛹で越冬する)には精子形成が進行しない。つまり、蛹化はしても精原細胞のみで、精子束が発達しない事実から、蛹化ホルモンは直ちに生殖腺刺激ホルモンではなく、何かがプラスされているのではないかと考えた。
ウィリアムス(1953)の休眠蛹の精原細胞の懸滴培養の著名な実験からヒントを得た。この実験の詳細は省略する。 シャチホコガはサクラの葉などを食害し、フナガタケムシとも言われる。秋に土中に入って蛹となるがマユは作らない。
 5令4日目の宿主にシャチホコガの休眠蛹から精巣を取り、これを移植した。精巣が丸く大きいので手術には苦労し、宿主の死ぬものが多かったが、成功した数個体の休眠蛹の精巣内に、宿主が熟蚕から蛹化後にかけて、精子束が形成されていた。個体数が少なく、無核精子束の出現するのは確認していない。しかし、恐らく出現するものと予想される。
 カイコは蛹化前後に精子形成が急激に進行し、休眠蛹では、蛹化はするが、精子形成はストップしている。この事実を上述の実験から、前胸腺ホルモンが生殖刺激ホルモンであるとしても、それ以外に何かが加わるか、あるいは、前胸腺ホルモンの質的変化と、それをもたらす何かが関係しているものと考えざるを得ない。

(6)神経分泌物質
 カイコの精巣を含む体節の前方で結束し、それより前の方を全部切除する。つまり、精巣を含む尾部だけを残す。
また、後方を結束し、後方の尾部を切除し、さらに、胸腹部で結束して、アラタ体も、前胸腺も取り除くというような二つの実験を4令期に行っても、精子束は出現する。つまり、精巣を含む体節だけ残れば、精子形成は行われることになる。したがって、プラスされる物質を分泌する組織(内分泌腺)は考えられないし、解剖によっても発見できなかった。
 ここにおいて考えられるのは、「神経分泌」である。シャーラー夫人(1955)はゴキブリで、卵巣を除去すると、食道下神経節に緑色分泌物が蓄積することを観察し、神経分泌物質の卵巣支配ということも考えられると述べている。
 カイコにおいても、脳、あるいは、その他の神経分泌細胞からの分泌物が、腹神経節に蓄積されて、前胸腹ホルモンと関係し合いながら、生殖腺の発育に影響しているとは考えられないか。こうした前提を置けば、カイコやシャチホコガの休眠蛹の精巣発達の違いも解決されるような気がするのである。

 結び
 二型精子の出現の「なぞ」を解こうとした私は、ついにその主題に迫ることができなかった。また、実験的に神経分泌の影響を証明することさえできずに青森に帰ってきた。しかし、最近、無脊椎動物のホルモンが、脊椎動物の視床下部、脳下垂体などに見られるように、重要な支配力が脳を中心とした部位にあるとの考えが強まり、進展してきている現状から、近い将来必ずや「なぞ」は解いてくれる人があると信じている。
 私は5令期末のアラタ体の機能を調査する機会を持たなかったが、アタラ体は内分泌腺そのものであるというよりも、脳からの分泌物の貯蔵場所という考え方もある。これと神経分泌とどう関係しているか。或いは、鱗翅類における二型精子の出現は、前胸腺の蛹化、羽化ホルモンとその時期のアラタ体の分泌、さらに神経分泌との複雑な関係によって生じる体液のアンバランスが原因となっているのではあるまいか。しかし、これは単なる空想に過ぎない。
 若き世代の「やぶなべ」会員の皆さん、生命の「なぞ」は至る所にある。基礎的勉学をみっちりやって、私たちのような老境に入った者の夢を実現してくださるよう、自重自愛を望んで止まない。


会名由来に戻る   入り口へ戻る

Copyright(C) 1998 by YABUNABE